「リヒト」と名付けた意味
「リヒト」はドイツ語で「ひかり・あけぼの・希望」の意味があります。英語だとLightです。リヒトの語順を入れ替えると「ひとり」になりますが、「ひとり」ではない場所にしたいというちょっとした言葉遊びも含めて「リヒト」と名付けました。
リヒト開設前夜
リヒトの設立は、2004年10月です。開設当初から狛江市の健康福祉会館「狛江市あいとぴあセンター」内の3階に事業所を構え、以降変わらずあいとぴあセンターを活動場所としています。
リヒトが開設する一年前の2003年2月に家族会さつき会がNPOを設立し、NPO狛江さつき会ができました。その後2003年度に支援センターの開設準備会が職員・当事者で組織され、都内の精神障害者地域生活支援センター(国分寺・立川・八王子)を見学したと伺っています。また、2004年4月から半年間、支援センターの事業内容にかかわるコンセプトを共有するための連続プログラムが企画され、月に1回のグループワークを通じ、市民の方と当事者の方が支援センターのあり方について共有する時間がありました。
当時、ぜんせいれん(全国精神障害者団体連合会)の事務所が狛江市内にあったこと、さらに「狛江シーソーズ」というセルフヘルプグループが活動をしていたこともあり、 当事者活動をサポートする機能について期待されながらリヒトが開設したのです。
2004年10月からの半年間
リヒトは開設当時、精神保健福祉法に規定されている社会復帰施設の「精神障害者地域生活支援センター」として開設しました。「精神障害者地域生活支援センター」は補助金事業であり、国と東京都とが半額ずつ補助金を支給するという枠組みでしたが、開設当初の10月から翌年3月ま補助金が認められず、東京都と狛江市から緊急的に支給された補助金で運営していました。2005年4月からは補助金を受けられ、正常に運営することができましたが、運営そのものは非常に厳しいものでした。
障害者自立支援法への移行
2006年10月に障害者自立支援法下への移行があり、地域活動支援センターと相談支援事業所に分離されたことで活動内容が限定される方向に進みました。
これまでリヒトとしての「活動」の力点はは当事者活動の支援を意味していましたが、法により作業所でおこなわれているような「創作的活動」が意図されたことも一因だと思います。しばらくの間スタッフは「リヒトはどのような活動が求められているのか?」と模索する時期が続きます。
スタッフは徐々にアウトリーチ支援を拡大し、同時に計画相談の前身である「サービス利用計画作成費」の対象者も増やしていきました。障害のある方へのケアマネジメントの経験を積み上げ積極的に実施していきました。
計画相談の開始
2012年4月に計画相談が開始しました。 以後リヒトは計画相談を通じて精神障害のある方だけでなく、知的障害・身体障害・難病の方などへの支援を拡大していきます。
一方、地域活動支援センター(フリースペース)は、利用者の年齢層が徐々に高くなり活動性が低下していきます。介護保険サービスを利用しながらフリースペースを利用する方や、ご家族に介護が必要となり、介護保険サービスとの協力関係が深まっていくようなことも起こりました。
リヒトはこれまで、特に単身生活されている方への支援を重視してきました。また、精神科病院で長期に入院しておられる方の退院支援や、地域定着支援や自立生活援助を活用した丁寧な支援を大切にしています。
このように利用者の対象拡大と、関係機関との連携の深化がこの20年間でリヒトの周辺で起こったことであるとまとめることができます。
一般社団法人よるべでの事業運営
2024年6月14日(金)に行われたNPO狛江さつき会の定期総会で、NPO狛江さつき会は2025年度以降、地域生活支援センターリヒトに関係する事業を実施しないことを決めました。その後、事業分離の事務的な作業は少しずつ実施されてきました。2025年4月1日に、2025年度以降リヒト事業を運営する「一般社団法人よるべ」に、備品・什器・車両などを寄付していただき、これまでと変わらずに事業が継続できるようにサポートしてきました。同時に、事業運営のための運営費用として寄付もしていただいています。
リヒトは、これ真通りの『地域生活支援センター』というコンセプトを大切に事業を運営していきます。
地域活動支援センター事業は、『地域生活支援センター』が地域の中で担おうとしていた、生活支援・相談援助・地域交流の3つの機能をこれからも大切にし、精神障害のある方に特化した支援を担っていきます。
また相談支援部門では、障害児相談を新たに開始し、子どもから大人まで障害にかかわるすべての相談に応じていきます。障害のあるご本人はもとより、ご家族やきょうだい児へのアプローチを模索していきたいと考えています。